2009年8月5日水曜日
京都から十津川へ
京都できーやんを訪ねました。集団納骨棚に蓮の絵を描いていました。お墓は後を守る人がいる。家族という単位 一番小さな単位がなくなりつつありそれでも自分の死後はなんらかのかたちで残したいのかなーーーそれとも死後の準備をすべて自分で整えておき安心したいのかな?なんだかそんな疑問が浮かびました。京都はまさにお寺の町どこを歩いても寺ばかり沢山の人が寺を訪れる。たしかに美しいし心が癒される。それと死後の準備はべつのことでしょう。京都から十津川の山奥に住んでいる友人の家に行きました。彼らは違うが全共闘運動のあと多くの人が何かを求めて自然の中に移り住みました。自然農法を目指した人そこで組織化して事業にした人もいる。漢方医療に向かったひともいる。禅寺や日本山妙法寺や山岸会に何かを感じて入った人も多い。十津川にもかなりの人が自然の中で暮らしたいとの思いで住んでいる。私は僅か4日の滞在で美味しいとこだけ味わったが日常品の買い物に往復2時間 町までは往復4時間 戸数16軒 人口35名 ほとんどが高齢者 いわいる限界集落 でも心豊かに生活は営まれている。かってロックイベントに関わっていた人たちも蒔きを割り風呂をわかし いのししや猿と知恵比べしながら自給自足生活をおくっている。不便を承知の上で!若者は皆、大阪や京都、東京に出て行ってしまっている。何故だろうと考えせせられる旅でした。
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