1970年大晦日に紅白だけがはないだろうときーやん泰ちゃんが徹夜でやろうぜロックを!ご近所様には騒音と苦情が警察に通報されたが毎年恒例になった。後に西部の大晦日に出ると翌年ヒットすると言われるようになった。キャロル出た翌年にはダウンタウンが白いナッパ服でキヤロルの黒のレザーのつなぎ服をパロッたのだろうと笑っていた。見事にヒットした。ガロもカルメンマキも元々は裕也さんの選択が素晴らしのだろう。ある時がらがらの京都会館で私の隣に裕也さんがいて このバンドいいね
と言ったのがウエストロードだった。1971年3月MOJOが西部講堂でスタートした。隔週というハードな企画 時々円山公園の野外音楽堂や府立体育館でのビックイベントをまじえての展開だった。府立体育館では過激派の資金集めと勘違いした警察が乗り込んで来た。MOJOのちらしが(今どきはフラィヤーと言うよだが)過激派とされた人たちの出入りする店に置かれていたからだ。MOJOは政治も芸術もいわんや宗教も関係なく楽しく集まるそのことだけ たまたま過激派の人たちも同じような店に来ていたのだ。MOJOは常に金銭的にはピンチ ノーギャラが当たり前 交通費も出せないそれでも東京から来てくれた。なんだったんだろう 楽しかったのだろう そんなことは警察に想像すらできなかったのだろう。
世間の常識からはずれると過激派とされるならMOJOも同じなんだろう。幻野祭はつぎにーーー
0 件のコメント:
コメントを投稿