2009年8月6日木曜日

旅からもどって

少し話がとぎれましたがきーやんと会って8月のロックイベントの話しを聞きました。当初はかなりの規模 70年代の再現を考えていたようだが会場の問題がネックとなった。大音響これを騒音ととらえられて京都市サイドのokがとれなかった。やむなく西部講堂で再生フラワーときーやんの絵のコラボイベントにするそうだ。ロックを騒音とされることは40年たってもかわらないのだなーーーそして未だに西部講堂だけが我らのスペースなのか?西部講堂のことを少し詳しく書き込んでいこう。バリ祭 これがすべての始まり京大のバリケードの中で祭りをやろう!小松ちゃんと泰ちゃん(高瀬泰司)全共闘のメンバーが中心になってだ。小松ちゃんは裸のラリーズの水谷君をすごいやつだと常々話していた。そのラリーズ、ゼロ次元の全裸パホーマンス、スキャンダラスの渦中にいた荒木一郎 こんなメンバーだった。安保の時は社会主義が標榜されて夢見た私だがバリ祭のころは反権力 ただそれだけだった。楽しかった。ロックのシーンではきーやん(木村英輝)がTOO MUCHというイベントを京都会館でやっていたと思う。その頃、西部講堂は京大映画部と演劇部が管理していた。そこに目をつけたのが泰ちゃん 泰ちゃんは京都府学連の代表 京大全共闘のリーダー 小松ちゃんは小劇場ドラマ工房の主宰者 きーやんはイベントプロジューサー この三人が西部講堂を自由空間 誰でも使えるようにしようとしたのだ。政治的に知恵の働く泰ちゃんが考え出した方法が西部講堂連絡協議会の設立 まさに40年たった今もいきつづけている。

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