2010年3月16日火曜日

なぜドープがーーー

今も変わらずドープが話題にあがりますね 多分私たちの世代が第一期生ではないかと思っています。アメリカからヒッピーという文化が伝わりだしたこともその大きな要素でしょう。時代と云う一言でかたずけることは出来ません。今もその事は常に話題になっているし大きな問題ですからーーーこれを真剣に論じたら文化論になり本が何冊もかけるでしょう。私は学者ではありませんから事柄と感想だけを書いていきます。まず当時にグラスを吸っていた人 私も含めて皆 お酒を飲まないあるいは飲めない人達だった。そして最初に日本に持ち込んで来たのは日本の若者が何でも見てやろうとの気持ちでインドに旅立ちインドから北上しヨーロッパへ今のバックパッカーですよね、その人達がタイでグラスに出会いインドでチョコ トルコでオピーム等に出会っていったのです。たどり着く先はアムステルダム 旅の中で世界中の旅人と出会い音楽での出会いが文化を超えて一番早かったのでしょう。文学や美術は言語や知識がいりますが音は直接身体に反応しますからね。グラスは古代より使われていた物 音に敏感になると云う特性がありますからね、彼らが日本に帰ってきたころ欧米からやはり旅人さんたちが沢山 日本にやってきました。当然 彼らもグラスやチョコを持って入ってきました。彼らは京都の風景や文化に居心地がよかったのでしょう多くの人が集まりました。まだLSDは法律では禁止されていませんでした。ビートルズがイエローサブマリンを作った時あたりです。日本にもLSDが入ってきました。驚きましたね忘れもしません。貨物列車の操車場の見える広々とした所で今はドイツで現代美術家として活躍している赤井さんと何人かで飲んだのです。その非日常性 幻想 そうですアルコールでもそうだと思いますが非日常的なのです。日常に飽き飽きしている自分に非日常は楽しい心地よいのです。それが仮の幻想であってもーーーーここのとこらに落とし穴があるのですね。

2010年3月12日金曜日

久しく書いてなかった すみません

なにやかんやとありましてーーー今日 TOOMACHのジュニーのことを聞かれましてそうだ奇麗事でなく京都でなにがあったか書いていこうとおもいました。  今週初めにTOOMACHのベースだった福ちゃんが家族と共に来日して来ました。福ちゃんは私に始めてグラスを吸わせた男です。木曾の山から取ってきて乾燥させていました。そのグラスからまさにスタートしてチェンマイまでスマックを買出しにいくまでエスカレートしたのです。そんな福ちゃんはドロドロの京都から逃げ出して日本山妙法寺に入りアメリカに修業に出かけました。福が居なくなっていたことすら私はきずきませんでした。スマックのシックを抜ける為に覚えたスピードの世界にはまりどうしょうもないとこに居たのです。村八分の皆も同じようなところにいました。ジュニーは一日中 ジグザグの一番おくの椅子に座りまったく無言で過ごしていました。
十日間ぐらいでしょうか朝 開店と同時に来て閉店まで無言 ジュニーの抗議だったのか。頭がおかしくなったのかーーーーそのような時に福はアメリカに行ったのです。20年ほど過ぎたある日私は青山で福からの電話を受けた ヘイ!社長!ふくだよと突然の電話それも携帯にだ。どここからと聞くとボストン郊外の自宅からとのことだった。福は日本山の僧侶になるには、なにかしっくりこなくって最後の仕事として佛舎利塔をボストン郊外に建てたら日本に帰ろうとしていたそうだ。建築中に今の奥さんと出会いアメリカで大工として仕事を始め今 二人の子供と奥さん 素晴らしい家庭を持っている。こんなことが最近 ああそうだ京都で何があったかそのことも書かねばならないなと思い直しました。うっくり書き続けます。