2010年5月23日日曜日

ちゃー坊はーーー

最近 20歳の女の子からちゃー坊は何故死んだのですか?
こんなことを聞かれた。
彼女は15歳のときに 村八分に出会い 大分の田舎町にはCDも売ってなくて、ひたすらユーチュウブ
などで探して聞いていたそうだ。
先日のフジオのタワーレコードのイベントに来ていて 私が誰かと西部講堂の話をしていたのに
興味をもったそうだ。
西部講堂は勿論のこと、ちゃー坊の墓参りもしてきた。村八分のメンバーが出入りしていた店の
情報も集めて、現在残っている店には行ってきたとのこと
まるで、ちゃー坊を神様のようにしている。
私が?と思うことも逸話としていた。
そのようなこともあり ふたたび 書き込みをはじめた。
ちゃー坊は死に向かって走っていたのではないか?
こんなことを書いたら 誤解をうけるだろうが 私は彼を見ていて当時からそんな印象をもっていた
自暴自棄 わからずや いや ありきたりの表現では言い表せない。
すごく やさしく 我がまま はずかしがりや 或る時は気がながく 或る時は気短 
美しい女性が好きで 中身のない女性は嫌い
思い出すとどんどん 実際のちゃー坊から離れていく
ようは 一緒にいないと空気はわからん空気は言葉にできない。
ちゃー坊は何の病気で死んだのか 全身衰弱 身も心も衰弱して 気持ちよく生きれる旅に!
死の数時間前まで一緒にいた私の友人も 機嫌よく じゃね!と別れたのが最後だと言っている
私がちゃー坊と初めて会ったのは チャー坊の話によればちゃー坊の高校生の時 ビョロンだそうだ
私はまるで覚えてないがチャー坊がそう話していた
ビョロンは祇園の地下の飲み屋 私が学生の頃行っていた そこに高校生のチャー坊が来ていたことになる ビョロンには演劇や詩人志望の者たち 過激派といわれた人たちも溜まり場
チャー坊は おませな高校生だったのだ。