2009年7月25日土曜日

鈍行から高速へ

明日から私は京都に行きます。年に5回ぐらい帰ってます。そうです帰るのだ。京都には昔からの仲間がいます それは私がのちに出会ったロックイベントの仲間達です 学生運動していた人たちは何処にいるやらです 安保から警職法 そうだこの警職法が今 どこでも誰でも職務質問される かなり強制的に!そのことを許す法律です 大学管理法なんてのも安保の後に出てきた そんなもによりとにかく若者も労働者も皆 萎えた!萎えることに耐えかね苛立ち次々と新左翼の分派行動が起き先鋭過激化していく かなりはしょる事になるが歴史は専門家にまかせます 全共闘 今までのすべての大学での価値観を変えようという運動が医者の卵 研修医の青年医師連合がら始まり大学全体に広がりました 私はすでに組織からはなれ家業をついでいたが血が騒ぎ京大に出入りするようになった 六曜社で出会った小松辰夫 彼の影響がかなり大きい 高校の時から六曜社にはいつもいた 六曜社はいわいる文化人から私達まで幅ひろくおもしろい人達の溜まり場だった 後にちゃー坊もよくそこに居たしフジオもよく来ていた 小松ちゃんが京大のバリケードの中でイベントをやろうよ 手伝えよと誘われバリ祭に!最高におもしろかった これだ!そしてこれが私の人生を今に至らせた 明日 鈍行でなく高速で帰ります。

2009年7月23日木曜日

鈍行列車

古い言葉は廃れていく 鈍行まさにのろのろと進む事 13時間と思っていたが夜9時ごろ京都を出て昼過ぎに東京に着いたような気がする 15時間ぐらいかかったのだろう 学割使って700円なぜだかよく覚えている 急行だと9時間で1000円 300円の差は大きかったそんな時代だ 列車の乗客は安保反対デモの為に上京する学生と創価学会の人たちが身延山大石寺に団体参拝する人その両者がほとんどだった 学会の人も私達も急行には乗れなかった 車中で学会の人に政治よりも宗教が大切だよ創価学会に入りなさい信じなさいとすすめられた 今 学生運動は壊滅し私達が目指していたものはなんだったのかそんな状況なのに学会は大きな勢力となり日本の政治の中枢にいる ここでも何故だ!学会の人たちは明け方 豊橋で身延線に乗り換える為に降りていった 怪我するなよと何度もこえをかけてくれた 一人一人は気持ちのやさしい人たちだったその人たちが今 日本の保守勢力となって私達の否定していたものを支えている 何故だ!

2009年7月20日月曜日

私の記憶と今の行動すべてがーーー

49年前をからわずかと感じている 国会の周りは人、人、人の波!催涙弾が目の前に落ちた誰かが死んだ!4人死んだと大声でアジっている。のちに樺美智子さんが亡くなった事がわかった。人波に押されて圧死と警察は発表した。時の総理は辞職した。しかし何も変わらなかった。何故だ?その何故だが?私のすべての始まりです。これからこのブログで僅かと感じている事柄を正につれづれなるままに書き連ねていきます。