2009年8月23日日曜日
思い出すことがーーーー
ありすぎて前後の関係がぐちゃぐちゃ 読み難いでしょうがご勘弁ください。村八分が生まれた頃を思うと水谷君の裸のラリーズの事を抜きにしては語れない。水谷君のことは小松ちゃんに教えられた小松ちゃんは同志社の放送部によく出入りしていた1965年ころかな同志社はブンドの活動拠点だった。清水と云うペンネームだった藤本敏夫(後に加藤登紀子さんの夫)氏がリーダーだった。ベトナム反戦運動の中心メンバー鶴見俊輔氏も同志社にいたと思う。藤本さんと泰ちゃん小松ちゃん達がベトナム反戦の闘士 ジェーンホンダが来日した時 彼女を同志社に招いた。前売りは完売 当日は溢れるばかりの人の波 取りあえず第二会場を準備するも間にあわず勿論 チケットもない確か千円だったかとにかく現金受け取りどんどん入れた。会場の外に溢れた人の為にジェーンさんが階段に立ち中庭の人たちにギターを聞かせた。水谷くんとはその頃 出会った。小松ちゃんは水谷くんに惚れ切っていた。まだフジオたちと出会う前だ。教育文化センターのホールで客は僅か7名 関係者入れて15名くらいの入りだった。そんな中で小松ちゃんは資金稼ぎの為か 園まりの公演にも関わっていた。今から思うと奇妙な感じだがファションショウの演出や照明も同時にしていた。小松ちゃんに付いて廻っていた私はお陰で色々な人に出会えた。私は徐々にロックの仲間にのめりこんで入った。政治活動、演劇の人達は 酒!ロックの人は非合法へ!どちらも酩酊を求めていたのか!?酒の人は早死にした。泰ちゃん小松ちゃん藤本さん。この世にいない!
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿