2009年8月13日木曜日

西部講堂の自主管理

正確な日時は覚えていないが泰ちゃんの奥さんがやっていた吉田山の白樺で話がすすんだ。大学は皆のもの自冶が基本 しかし安保闘争 三池闘争 次々と権力に打ち負かされ大学の自冶すらも警察導入となっていた。そこで西部講堂を学生の自主管理にする。その為には持続的にイベントを打ち学生以外の若者がいつも集まる結果的に 皆の空間 このことが大切なのだと 同じことが同じ時期に 吉田寮と熊野寮で展開された。京都には元々 学生はんと云う呼び名が市民にあった。親しみとしての呼び名 学生はんがしゃはることやさかいになあ こんな感じで少々のことには寛容だった。教授の中にも多くのリベラルな人がいた。高橋和巳さんはその代表格だった。のちに泰ちゃんが死んだ時 当時京大総長だった奥田東さんが葬儀に参列し泰ちゃんをしのんでいた。敵対するのではなく心の奥底で共有するものがあったのだろう。学生のなかでの対立のほうがやっかいだった。映画部と軽音楽部が既得権に固守した。彼らも加えて西部講堂連絡協議会を作った。小松ちゃんは状況劇場の唐さん舞踏の麿さん達を呼びきーやんは内田裕也さんと連携してロックのイベント MOJOを企画した。こうして西部講堂は自主管理に道をつけた。その決定打が幻野祭!

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