2013年8月6日火曜日

311で何かが変わる?幻想?

311の震災は何かを変えるきっかけになるのか考えていた。
3月14日仙台の仲間と連絡をとりながら私の会社の車は満載の食料を積んで東北高速にむかった。運転は私の盟友T君 道案内に前浜出進のM君 M君は前浜の両親に連絡が取れずに困って乗せて行ってくれと頼んできた。
報道では高速は通行止め支援物資は赤十字にとのことだった。仙台からは現地は食い物がないどんどん自衛隊が来てるから高速も通れるのではないかと言ってきていた。
T君に気転で川口インターで警察と交渉し積荷を見せたら緊急通行許可書をくれた一ヶ月有効のをだ。福島に近ずくと道は段差が激しくなったそうだがとにかく走れた。まずはM君の実家のある前浜経由で多賀城市役所をまざした。15日の夜明けに前浜に着いた。M君の家は傾いていたがあった。両親はM君を見ても呆然としていたそうだ。
多賀城市役所の救援物資置き場には何もなかった。係りの人は一番のりをおどろきながらも喜んでくれた。仙台の仲間の一人は女川から歩いて石巻までたどり着きそこから自転車で仙台まで帰ってきていた。
石巻はもっと食料がない。魚の加工場から流れ出た魚をたべている。折り返して石巻に食料をと彼は頼んだ。東京で次の荷物の準備をした。調布柴崎の農協が野菜や米を出してくれた。おにぎりも1000個地元の人が作って折り返し便を待っていてくれた。今では笑い話だが私も含めて協力した家には米も野菜も無くなっていて京都から送ってもらった。
3月19日に45号線がやられているから仙台の仲間が山道を案内して石巻に入った。荷物は自衛隊の人達がおろしてくれたそうだ。
その後私たちは何か出来ないかと柴田町にある知り合いの空き家を無償で借りて試みたがやはり地元の人がやることに協力するのが一番だと考え泥掻きに向かう仙台の仲間にカンパすることに徹した。
高速道路では軽油も満タンにしてくれ感謝の言葉を掛けられていたそうだ。
ただ今、思い起こすつと既にその時は放射能は空を覆っていたのだ。報道も大丈夫大丈夫の連発。 やたらと絆、絆、の連呼ーーー
絆は心から相手を思いやることから生まれる。大丈夫と嘘をならべて絆を叫ぶーー
おかしなものだ。
どれぐらいたったであろう反原発運動が始まった。原発の存在は経済至上主義の行き着いた結果だ。その経済至上主義を返上しなければ原発は無くならない。
原発は資産なのだ廃炉にすると電力会社は破産する。銀行も破綻の危機に!
さてどうするーーーそこなのだどうすると云う対案がどこからも聞こえないーー
自然エネルギーとか電力は足りているとかそのようなレベルのことなのか?
私が高校の時、社会主義に憧れていたしかしそれは幻想でしかなかった。
今また反原発に幻想をもってはいないか?
日本が世界が311以降何か変えられたか?変えようとしているのか?
先日 仙台に行った。かってないほどの賑わいだった。大船渡にも行ったが土建屋天国だった。
震災で非難していた年寄りはまだ仮設にいるのだろうーーー
浜辺には巨大な堤防を造る。 何もかも経済至上から変わっていない。
変わったあとの姿がそうぞうすら出来ないでいるからだ。
今、必要なのは生き方の問題なのだ。一人一人がそれに気づきそこから生まれるものが反経済至上主義でその結果として脱原発がなしえるのだ。極論すれば江戸時代に戻ろう!覚悟がいりますぞ!覚悟を持ってこそ出来ることなのだと思う。

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